友ヶ島

 皆さん、こんばんは。
 めっきり寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 当館では、ご宿泊されるお客様をお部屋にご案内させて頂いた時に、窓から見える風景について、「あの、見えているのは何ですか?」とよくご質問をお受けいたします。
 
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 「関西国際空港・和歌山・友ヶ島でございます。」とお答えしているのですが、「友ヶ島とは何ぞや?」と自分自身分かっていない部分があったので、調べてみました。
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 『友ヶ島は紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称で定期船の着く沖ノ島の最高峰、コウノ巣山(120m)には1等三角点が埋設されています。
 加太港からの観光船で20分、沖ノ島の野奈浦桟橋に降り立つとそこはもう南国の楽園。少し前までは電気も自家発電でまかなっていた自然のままの島です。
 友ヶ島は第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来ませんでした。島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます。
 友ヶ島には葛城修験道の行場が5ヵ所あります。沖ノ島の深蛇池と閼伽井(あかい)、虎島の観念窟(かんねんくつ)と序品窟(じょひんくつ)、神島の剣の池でこのうち序品窟を葛城二十八宿の第一宿とする伝承があり、今も毎年ほら貝を持った山伏さん達が修行にやってきます。
 【友ヶ島の歴史】
 嘉永7年(1854年)紀州藩が幕府の命により加太に友ヶ島奉行を置き友ヶ島に藩士を常住させました。それ以来友ヶ島は国を守る上で重要な島となりました。
 明治21年には陸軍の用地になり、明治期に要塞、砲台が築かれてから第2次大戦の敗戦まで一般人は近づくことも禁止されていました。
昭和24年には瀬戸内海国立公園の一部となって以後全国的な観光地として開発が進められてきました。』
 との事。
 まず、四島の総称だった事に驚き!!
 てっきり、一つの島の名前と思っていました。
 それと、別の所に記載があったのですが、無人島である事にも驚き!!
 こんな近い場所に無人島があったなんて・・・・
 また「砲台跡」や、「修験道の行場」にも興味津々。
 
 
 とても勉強になりました。爽やかな気候の今のこの時期に、一度機会を作って、訪れてみたいと思いました。
   【フロント 土井】